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和田一夫の活動-プロフィール

創業期
〜天秤棒から
始まった商売〜
1928年 父・良平、母・カツ 青果商として熱海市にて行商を始める
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1929年 和田良平・カツ夫妻の長男として小田原市に誕生 0才
1948年 戦後、株式会社八百半商店を設立 19才
1950年 熱海の大火により店舗、自宅全焼
焼け跡にバラックを建てて営業再開
21才
1951年 日大経済学部を卒業。八百半商店入社 22才
1953年 妻・きみ子と結婚 24才
1956年 八百半食品デパートに社名変更
ヤオハン発展の基礎となる現金正札販売を断行
この年を創業元年に制定
27才
1958年 八百半食品デパート専務に就任 29才
1961年 アメリカ流通業界視察後スーパーマーケットチェーン化を志す 32才
1970年 伊豆半島チェーン7店舗展開 41才

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大企業への変貌
〜世界を知る〜
1971年 ブラジル進出
日本のスーパーマーケット業界初の海外進出第1号店サンパウロ店オープン
42才
1972年 年商100億円達成
アメリカ ヤオハン社(輸出入)設立
43才
1973年 シンガポール進出 シンガポール ヤオハン社設立
父・良平氏没
44才
1975年 日本ヤオハン ボーリング場改装スーパーマーケット「B作戦」開始
一挙に多店舗化
ブラジル4号店オープン
46才
1976年 石油ショック後のインフレによりブラジルヤオハン社撤退(和議申請)
コスタリカ ヤオハン社設立
アメリカ第1号店フレズノ店オープン
47才
1981年 創業25周年シンガポール4号店オープン
生長の家栄える会会長に就任
52才
1982年 株式会社八百半デパート 名古屋証券取引所第二部に株式上場 53才
1983年 国内海外グループ年商1000億円突破 54才
1984年 株式会社八百半デパート 名古屋証券取引所第一部に株式上場
香港ヤオハン第1号店 沙田店オープン
55才
1985年 マレーシア ヤオハン社設立
アメリカ3号店ロスアンゼルス・リトル東京店オープン
56才
1986年 株式会社八百半デパート 東京証券取引所第1部に株式上場
ブルネイ ヤオハン社設立
57才
59才
1988年 香港ヤオハン社 香港証券取引所に上場
IMM国際卸売センター社シンガポールに設立
ニューヨーク店、マレーシア4号店、香港3号店、台湾1号店オープン
タイ ヤオハン社設立
アジア留学生協会理事就任
 

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世界企業への成長
〜21世紀はアジア
の時代〜
1989年 株式会社八百半デパート社長を退任、新社長に和田晃昌就任 60才
  株式会社八百半デパート会長に就任  
  香港に国際流通グループ ヤオハン総本部を設立  
  グループ持株会社ヤオハンインターナショナル社設立し代表取締役会長に就任  
1990年 和田一夫 家族と共に香港に移住 61才
  グループ総本部(香港)にて執務開始  
  中国レストランチェーン八佰伴国際飲食有限公司をM&A  
  同社を香港証券取引所に株式上場  
  愛知県半田市にショッピングセンター「ネクステージ半田」をオープン  
1991年 創業35周年、海外進出20周年 62才
  株式会社八百半デパートを株式会社ヤオハンジャパンに社名変更  
  香港にてハムメーカー及び魚肉輸出入商社八佰半食品製造貿易有限公司をM&A  
  香港にてケーキ製造販売チェーン(30店舗)セオナ社をM&A  
  香港にて日本料理店・鉄板焼きチェーン「松菱」社をM&A  
  香港に婦人靴専門店チェーン(35店舗)ミリーズ社をM&A  
  香港4号店オープン  
  中国シンセン店オープン、タイ・ヤオハン バンコク店オープン  
1992年 香港にてゲームソフト会社ウィムジー社をM&A 63才
  シンガポールIMM社 国際卸売センター全館オープン  
  香港5・6号店、アメリカ7・8号店、マカオ店オープン  
  八佰半食品製造貿易有限公司 香港証券取引所に株式上場  
  ニューヨーク日本寿司チェーン「大吉」マンハッタンにチェーン化  
  北京八佰半百貨店オープン  
1993年 上海第一八佰半百貨店テストショップオープン 64才
  香港7号店、バンクーバー店、ロンドン店、ブルネイ2号店オープン  
  母カツ没  
1994年 株式会社ウィムジーを香港証券取引所に株式上場 65才
  株式会社ヤオハンインターナショナルホールディングを香港証券取引所に株式上場  
  上海八佰半スーパーマーケット1号店オープン  
  上海八佰半モスバーガー1号店オープン  
  香港8・9号店オープン、台湾桃園店オープン  
  愛知県知立市ショッピングセンター「ネクステージ知立」オープン  
1995年 シンガポールIMMホールディング社をシンガポール証券取引所に株式上場 66才
  マレーシア ヤオハン社をマレーシア証券取引所に株式上場  
  無?ヤオハン・スーパーマーケット1号店オープン  
  八佰半上海IMM卸売センターオープン  
  12月20日上海第一八佰半百貨店浦東にオープン  
  開店日の来店客数107万人 1日の来店客数世界新記録にてギネスブックに掲載される  
  アジア経済人懇話会会長就任  
1996年 中国・無?八佰半百貨店オープン 67才
  グループ総本部を香港から上海に移転  
  和田一夫、香港より上海に移住  
  北京にて李鵬首相訪問面談  

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栄光と挫折の中で
〜不死鳥
和田一夫〜
1997年 上海市栄誉市民賞授与 68才
  株式会社ヤオハンジャパン経営危機に伴い和田晃昌社長辞任  
  シンガポールIMM社社長 和田光正がヤオハンジャパン社長に就任  
  和田一夫、上海総本部を引き上げ日本帰国移住  
  ヤオハンジャパン会長として営業本部長に就任  
  ヤオハンジャパン総合スーパー(GMS)16店舗をダイエーグループに売却  
  9月 株式会社ヤオハンジャパン倒産  
  静岡地裁に会社更生法申請  
  和田一夫、グループ代表辞任  
  海外国内全グループ関連会社の役職をすべて辞任、すべての公職を辞任  
1998年 都内にて謹慎蟄居生活を行い、瀬島龍三、サッチャー、ケ小平等世界的リーダーの自伝を読みふける。その中から自分の体験を経営者たちに広く伝え、育てる「カンパニードクター」としての道を決意。 69才
  多く支援者の支えにより経営コンサルティング企業、株式会社ワダ経営を設立創業(東京、代表取締役社長に就任)  
1999年 「繁栄実践塾」と称し、東京、博多、熊本等にて経営セミナーを展開。 70才
 11月 11月11日 和田を慕う経営者達による復活セミナーでの講演にて復活宣言
セミナーで現在のビジネスパートナーである正田英樹と運命的な出会いを経て、初めて福岡県飯塚市を知る。
 
 12月 初めて飯塚の地を踏む。  
 12月31日 自分の再起と共に飯塚市の復興を決意。飯塚での企業と移住を決める。  
2000年 ヤオハンジャパン会社更生計画が認められ静岡地裁より認可。社名を株式会社ヤオハンと改めジャスコ・イオングループ傘下企業として再建計画がスタート。 71才
 3月 福岡県飯塚市にインターネットを主軸とした経営コンサルティング企業株式会社ベンチャー・ビジネスファンドを設立(代表取締役社長に就任)  
 5月 和田一夫、家族と共に新会社設立のため飯塚に移住  
  無料経営相談「バーチャル和田一夫」を開始(02年終了)。インターネットによる無料経営相談を行うと、同時に日本各地で「夢は必ず実現する」をテーマに講演会を展開。  
 9月 かねてからの夢であった若手起業家育成のための勉強会「IT松下村塾」を福岡県飯塚市の自宅にてボランティアで開始。第一期門下生は九州工業大学、大分大学、慶応大学等の現役大学生・OB、若手起業家からなる16名。チュニジア、マレーシア等の留学生も参加。  
2001年 株式会社ベンチャー・ビジネスファンドの社名を新たに「株式会社アイ・エム・エー」と改名し、勢力的に講演活動を続ける。この年は講演回数年200回以上を越える。 72才
 8月 倒産後、初の中国訪問を行う。  
  古くから親交のあった要人との再会、また多くの要望を受けて、中国での講演活動、カンパニードクターの活動を再開。  
 10月 会員制経営相談ホームページ「インターネット国際経営塾」開塾(03年終了)。  
 11月 11月「e-ZUKA工房都市forJAVAテクノロジー計画」発起人となる。  
2002年 中国・上海市にある大手グループ上海復星集団の経営戦略顧問に就任 73才
 4月 北京市懐柔区開発プロジェクト総合顧問に就任。  
 7月 南京人民大会堂にて2500人の市民を対象とした講演会にメインスピーカーとして招かれる。  
 10月 2001年10月に満1年を持って終了したIT松下村塾を「国際IT松下村塾」と名称を変更し、再開。国際IT松下村塾は地元住民を中心とし、活動を再開した中国の話題も取り入れつつ展開。  
2003年 福岡県飯塚市のアジアIT特区構想を実現すべく精力的に活動。 74才
2004年 上海での国際経営コンサルタント活動を本格化 75才
 4月 上海市内に移住  
 5月 上海国際経営塾を開講  
経済雑誌でのコラム執筆をはじめ、50年間の経営体験をベースにした失敗学のみだけでなくもっとも中国に近い男として各方面からの講演依頼や経営者育成に力を注ぐ。  
2005年 顧問先の案件を題材に各種の勉強を続けながら日中情勢に応じての臨機応変な体制を模索 76才
 5月 靖国問題などを契機に上海国際経営塾を休講  
 8月 上海を拠点にバイオテクノロジーのプロジェクトに挑戦  
2006年 農業プロジェクト(土壌改良・有機農業)の推進に力を注ぐ 77才
 4月 「77歳からの再出発」の著書を出版  
 5月 杭州の浙江大学経済学院で「起業家精神」をテーマに講演  
 7月 「77歳からの再出発」の中文翻訳版「東山再起」を出版
復旦大学にて出版記念講演会を開催
北京大学で「発展の方法と才能を生かす鍵」をテーマに数時間に及ぶ講義をこなす
株式会社和田総研の設立、代表取締役社長に就任
 
2007年 飯塚と上海を拠点に勉強を続けながら、講演活動を積極的に推進、日本と中国の架け橋となりたいという夢に向かって歩みを進める 78才
 3月 海洋ミネラルを成分とした健康食品「MCM」の販売戦略考案に着手  
 7月 上海での国際経営塾の本格的な開校に向けて準備中  

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