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和田一夫に聞く-ゼロからの再出発

  和田さんの本拠地を飯塚に移すきっかけになったのはどんなことですか?(38歳/東京都/会社員)    

  私は現在経営セミナーを全国数箇所で開講しております。
1997年にヤオハンジャパンが倒産してから、私は公の場に出ることを控えておりました。ですから少人数制の経営塾を行っていたのですが、熊本、福岡塾の塾生の皆さまが一丸となって私を世に送り出そうと、昨年(平成11年)11月11日、熊本に180名の塾生が集まり「和田一夫・世に出るセミナー」を開いて下さいました。
平成11年11月11日11時11分――この時刻丁度にドラで鐘を鳴らし、この鐘の音を”希望”に見立てて、「希望の鐘」と名付けて下さいました。そしてその希望の鐘のもとに集まった約180名の方々がオンリーワンの経営者、そして私自身も「オンリーワンのカンパニードクター」になろうと決意をしたのです。非常に感動的なセミナーでした。

そのセミナーの後に参加者が感想文を出してくれたのですが、その中に飯塚市のベンチャー起業家である正田英樹さんのものもありました。それを読んでみるとその中には「飯塚をアジアのシリコンバレーにしたい」という正田さんの情熱が詰まっており、私も感激し心を打たれました。私は、以前ヤオハンで約20年間アジア戦略というプロジェクトを行ったことがあったので、「アジアのシリコンヴァレー」という言葉に興味を持ち「飯塚はどんなところか知りたいな」と思い、その時から一度行ってみたいと思っておりました。  それから約1ヶ月後、念願が叶い飯塚の地を踏むことができました。10年前に新設された九州工業大学情報工学部、多くの技術系企業が研究開発を行っているという研究開発センター、飯塚市役所等を見学いたしました。その中で九工大飯塚キャンパスに初めて立ったときに私はなんとも言えないインスピレーションを感じました。
「この大学の頭脳、技術がアジアの人たちのために役立つ時代が来るのではないか」  それから飯塚市民の方たちとお会いする機会がありましたが、皆が熱い思いをもって飯塚を何とかしたいと言うのです。その熱意に私も同調するかのように非常に燃えてきました。

丁度私は、インターネット上での経営コンサルティングを行うというプロジェクトを進めていた時期でした。その当時は東京でコンサルティングをやろうと思っていたのですが、直感で感じたのです。

ヤオハン時代の海外進出で培った、人脈、経験が「アジアのシリコンヴァレー」に生まれ変わろうとしている飯塚市のために生かせるかもしれない。まさに、アジアに一番近く情報産業都市に生まれ変わろうとしているこの地、飯塚でやるべきだ。

国を想い、国を憂いて明治維新を行った名士達を育てた、かの吉田松陰先生のように、国を思い、アジアを考えるようなリーダーを飯塚で育てる仕事をしよう。

初めて飯塚の地に立ってから5ヶ月後、私は飯塚市民となりました。

私は一つの目標を持っています。
「日本で100人のベンチャー・ビジネス経営者を育てること。そしてその中から30社の上場企業を作る」というものです。
これからこの目標はさらに実現に向かって促進されていくものと飯塚の地で思っております。
 


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